越境


自分が保ってきた境界を越えて、外に飛び出ていくというのは本当に大変なことだと思います。 僕は基本的に、今までとは違う環境に行って挑戦しようとする人のことは、応援することにしています。例えば転職とか、起業とか、留学とか、学び直しとか(いま話題のリカレント教育にはやや否定的ですが)、です。
いまの環境で精いっぱい頑張る人よりも、環境を変えようとする人の方が偉いとは全く思っていません。ですが、とりわけ今の環境が大して悪いわけではないのに、今と比べてもっと過酷な環境に挑もうと考えている人のことは、素直に尊敬しますし、応援したいと思っています。


最近、大学時代のある友人から連絡がきて、突然「医学部を受ける」という相談を受けました。その友人は僕の同期で、勿論大学は無事に卒業していますし(文系です)、社会人として何年も働いていました。その友人が、どういう心境で医学部に行きたいと思うようになったのかはわかりませんが(あえて聞きませんでした)、僕は素直に応援したい、と思いました。
その友人曰く、家族以外で相談できる人がほとんどいなかったそうです。恐らく、多くの人が反対はしないまでも、心配されるか懐疑的な目を向けられるかだろう、と思ったからだと思います。なぜ僕に話してくれたかというのは、僕が遠い異国の地でネットワークから遮断された環境にいるので、話しても害がないと思ったのではないかと勝手に推測しています。あるいは僕も、日本の大学院に4年いながら更にPhD留学をするという、おそらく一般的ではない決断をした人間ですので、何かしらのシンパシーを感じてくれたのかもしれません。



そして先日、その友人から、なんと「合格した」との連絡が来たのです!その友人には悪いのですが、正直僕は受からない確率の方が高いと思っていたので、心底驚きました。何でも、自分でもクレイジーな選択であることはわかっているから、今年限りの挑戦にすると決めていたそうです。一回限りの挑戦、それもかなり無謀な挑戦であるにもかかわらず、きちんとモノにしたその友人の話を聞いて、僕は心の底からその友人のことを凄いと思いました。




話は変わりますが、僕はずっと、どちらかといえば環境を変えるのにビビっていた類の人間でした(今もそうですが)。いまでこそ、自分のかねてからの願望であった留学ができていますが、そこに至るまでにかなりの葛藤がありましたし、いざ腹を決めて留学の準備をするときも、常にビクビクしながらやっていました。
失敗したらどうしようとか、周りに笑われるなぁとか、そういうくだらない(いまとなっては本当にくだらない)ことばかり考えていました。いまの環境が居心地の良いものであればあるほど、「このままでいいじゃん」っていう考えがすぐに頭をよぎっていました。それでも僕が何とか留学にまでこぎつけることができたのは、ひとえに前の大学の指導教官のおかげであったとしか言いようがありません。



前の指導教官の先生に、僕が「修士課程に進みたい」という相談を初めてしたとき、「僕のとこに来るからには、将来絶対留学しろ」と言われました。その時の僕は正直、「えぇ、何を言ってるんだこの人...」っていう感じでした。しかし、修士課程をこなしていくうちに、思っていたより学問の世界が面白いと感じ、確かにこれなら留学をしてみるのも悪くないかもしれない、と思うようになりました。



しかし、考えるのは簡単でも、いざ行動に移すとなると話は別です。というのも、周りにそういうことを考えている人間がほとんどいなかったからです。周りの人は皆目の前のやるべきことを精いっぱい頑張っていますし、そのなかで自分だけ留学したいとかいうのを思ってるのは、現実逃避しているみたいな感じでした。同調圧力、というわけでもありませんが、だんだん留学したいという気持ちは薄らいでいったのです。



あるとき、確か博士課程の一年の時だったかと思いますが、先生に「僕もう留学は諦めようかな、と思ってるんです」と相談したことがあります。家庭の事情やら結婚のことやらで留学への気持ちが折れそうになっていたこともありますし、先輩など周りの人を見ていても、わざわざ留学なんかしなくても十分にやっていけてるじゃないか、という思いもありました。


しかし、そのとき先生に言われた言葉は、

「いま諦めたら、一生後悔するぞ」

というものでした。そして柄にもなく、「山口君なら絶対やってけるんだから、もったいない」と急に僕のことを褒めはじめました。珍しいことをするもんだな、とその時は思っていました。


「一生後悔する」という先生の言葉が、僕の性格を分かったうえで言ってくれたのかどうかはわかりませんが、それから数日間あれこれ考えた結果、「確かにそうだ、自分の性格からして今ここでやめたら一生ひきずる」、という結論を出し、後悔したくないという一心だけでここまで来ることができました。



何が言いたかったかというと、僕は決して「クレイジーアントレプレナー」ではなかったということです(これ言っていいのかな)。医学部に進むことを決めた友人も恐らくそうだったと思いますが、僕は常に失敗しないかビクビクする人間ですし、周りの声を気にしますし、悪口を言われようものなら途端に傷つきます。

留学が決まったとき、何人かの人から「よく決断したね」とか「勇気がある」とか言っていただきましたが、僕は決して「ダンコたる決意」を持っていたわけではなく、「やれるだけやってみるか、と思ってやってみたら何とかなった」だけの話です(何とかなったのが、指導教官の先生はじめ多くの方の支援の賜物であったことは言うまでもありません)。




こちらに来て改めて思いましたが、とりわけ文系の日本の学生で留学をする人は本当に少ないと思います。それに対して、中国や韓国の学生は本当に多いです。日本の中でも、お隣の経済学はもっと活発で、特に東大などでは修士を出たら留学に行くのは当たり前、みたいな文化が形成されていると聞いたことがありますが(素晴らしいと思います)、経営学は本当に少ないです。


なぜ少ないのか、ということの理由の一つは、上に書いたような僕の心境と同じようなことを抱いている方が多いから、だと思います。そしてそれは、大学院生だけではありません。「外に行ったからって何になるんだ」、「今の環境でも将来は保証されるし、経済的にも社会的にも満たされた人生が送れる」、「アメリカやヨーロッパの経営学が日本の経営学より優れているわけではない」、といった考えをもっている人がいるかもしれませんし、自分は持っていなくても周りにそういう考えの人がいるかもしれません。



僕は決してそういった考えに反駁するつもりはありません。そういった考えが正しいと僕は思いませんが、重要なのは正しいか正しくないかではないからです。重要なのは、そういった考えと”心中”するつもりがあるかどうか、ということだけです。
”心中”するつもりがあるのであれば、全く問題ないと思います。そして、”心中”するという決断が悪いことだとも思っていません。それが、自分の後悔から来るものではなく(学問的には、認知的不協和の解消です)、心からそういう信念を持っているのであれば、それを曲げる権利は僕にはありません。(挑戦しようと思ってる人の信念を、「意味がない」と言って捻じ曲げようとする人のことは軽蔑しますが)



しかし逆に、もし”心中”することができなければ、「やっぱり行っておけばよかった」と一生後悔する人生が待っています。僕は、おそらく心中できないな、と思ったから留学しようと思っただけのことです。留学した人が偉く、そうでない人が偉くないということはありません。僕は、僕自身が将来後悔しないと思った選択肢をとっただけのことです。
井の中の蛙、鶏口牛後、といった言葉がありますが、言葉が意味するほど、悪いことではないと思っています(他人に押し付けないのであれば)。こちらに来て一層思うようになりましたが、自分の人生なんだから好きな信念をもって好きに生きればいいに決まっています。ただ、だからこそ、新しい環境に挑戦したいと本気で思ってるのであれば、それこそ好きにすべきです。文系の大学を出てから医学部に入ったって良いんです。自分の人生なんだから。




さて、偉そうな語り口はやめようと思っていたのですが、書いてから読み直してみたら結構偉そうなことを書いていました。文章も読みにくいですし。相変わらず文才がないです。
なぜこれを書こうと思ったかというと、じつは今日こちらに来てから一番の”屈辱”を味わう経験をしたからなのです。でも、そこに至るまでにかなり色々書いてしまったので、これはまた次回書こうと思います。それでは、また。