博士論文のプロポーザルディフェンス

二か月前の5月18日、博士論文(dissertation)のプロポーザルディフェンスというものがあり、無事パスしました。今日は簡単に、アメリカビジネススクールのPhD課程において、dissertationというものがどういうもので、どういうプロセスで進めていくのか、どのような水準のものを求められるのか、といったことについて僕の知る限りのことをまとめたいと思います。

 

1. Dissertationとはなにか

 

Dissertation、すなわち博士論文とは、言ってみればその完成がPhD課程の主目的と言ってもいいもので、卒業見込みの年度に行うdissertation defense(博士論文審査)をpass*することでPhDが授与される、という仕組みです。殆どの米国のビジネススクールでそうなのだと思いますが、dissertationの構成は基本的に、大作の一本の論文ではなく(恐らく日本の大学院ではこちらが主流)、2-3本からなる独立した論文を組み合わせることで成り立ちます。それぞれの論文が何らかの形で連関していることが望ましいとされていますが、到底結びつきそうもない別々のテーマの論文を無理やり組み合わせてdissertationとしている学生もいます。このような2-3本の独立した論文、という構成をもつ背景には、PhD課程で期待される大学院生に対するトレーニングが、学会誌に投稿するに足るクオリティの論文を書けるようになることを一つのゴールとしているからだと思っています。ですので、恐らく多くの学生はdissertationを完成させる、というよりも、2つから3つの独立したプロジェクトを完遂し、それぞれの論文の学会誌への投稿を目指す(その中の一つが通常、下で説明するジョブマーケットペーパーとなります)ことがまず第一目標として存在し、その”副産物”としてdissertationが出来上がる、といったプロセスを踏むことが多いのではないかと思います。順調な学生であれば、在学中に1本から2本、博士論文を構成する論文を学会誌に投稿(ジョブマーケットに出る段階でR&R以上のステージ)しているケースが見られます。

 

* ちなみにdefenseの結果には、Pass(合格)・Conditional pass(条件付き合格)・Fail(落第)の三種類があります。二つ目の条件付き合格とは、「こことここを直せたら合格でいいよ」ってことです。

 

2. Dissertationの手続き

 

それでは、そのようなdissertationは5年間(あるいはそれ以上)のPhDプログラムの中で、どのような手続きを経るのでしょうか。Dissertationにおいて大きな役割を果たすのが、Dissertation committeeと呼ばれる、dissertationを審査する教員たちの委員会の存在です。先ほど、一般的にdissertationは「2-3本からなる独立した論文を組み合わせることで成り立」つと言ったのですが、厳密にこうでなければならないといったルールは恐らくありませんし、学科によって期待されるものはバラバラだと思います(例えばHistory departmentでは、一般に400ページ超の長編論文を仕上げることが期待される、と聞いたことがあります)。結局のところ、dissertation proposal defenseおよびdissertation defenseにおいて、審査委員会が問題ナシと言うかどうかが肝要です。

また、もしかしたら、dissertationの論文は全て学生一人で仕上げなければならないと思っている方がおられるかもしれませんが、実は共著論文でOKです。僕のスクールでは、論文3本のうち、少なくとも1本が単著であれば、他1-2本は教員(あるいは他の学生)との共著で構わないとされています。ここでいう共著者には、committee memberになってもらう教員(アドバイザー等)も含みます。正直なところ、dissertationを構成する論文の共著者がdissertation committeeに入っているのってどうなんだろう、と思ったこともあります。ただこれは、近年の研究プロジェクトの長期化・大規模化によって学生一人でプロジェクトを行うハードルが上がっていること、また5年間という限られた期間で複数のプロジェクトを完遂することを期待されていることから、致し方ないことだとは思います。このように、教員との共著論文でdissertationを構成するという仕組みは、もしかしたら日本の経営系の大学院と大きく違うところかもしれません。

 

さて、Dissertationの公式的な手続きは、大きく分けて以下の三つに分けられます。

 

I. 論文審査委員会(dissertation committee)の立ち上げ(大体3年目の終わり~4年目の中頃まで)

II. Dissertation proposal defense(4年目の中頃~終わりまで)

III. Dissertation defense(5年目の終わり)

 

ただ、最近では5年間でプログラムを修了する学生は少なく、6-7年目にまたがることも多いので、その場合はIIとIIIの間にもう1-2年の期間が追加される形になります。

Iの論文審査委員会には先ほども少し触れましたが、学生自らが自分の博士論文を審査してもらう先生を選択して構成されるもので、学生自らが直接お願いをして委員会への参加を承諾してもらう必要があります。僕の学科の場合、委員会は5-6名で構成され、主のアドバイザーがCommittee chair、サブのアドバイザーにCo-chairになってもらうケースが多いです。また、Dean's representativeというポジションがあり、これは同じ大学に属しており、かつ学科”外”の先生になってもらう必要があります。これは、学科における審査プロセスが公正に進められているかを監督する役割です(と、理解しています)。僕は研究にhistorical dataを用いており、また研究領域も近かったことから、history departmentの先生にお願いをしました。その他のメンバーですが、これは正規の大学に所属する教員であれば学科の中でも外でも良く、また同じ大学である必要もありません。さらには、tenuredである必要もありません(ただpost-docとかはダメ?この辺はよくわかりません)。僕の場合は、一人は同学科の、dissertation以外のプロジェクトで共著者となっている先生にお願いをし、もう一人は日本にいたころに大変お世話になり、また現在のスクールの先生方とのつながりも深い日本人の先生にお願いをしました(defenseはハイブリッドで行われているため、Zoomで参加をしていただく)。

 

3.学生はどういうスケジュールでDissertationを進める?

 

学生が具体的にどうやってdissertationを進めていくか、ということについてですが、大前提として、「こうあるべき」というdissertationの進め方はありません。学生によって進捗の仕方は様々であり、プロジェクトの大小や研究手法・データの性質(例えば、実験データか観察データか)、問いの種類などによってどのようなスケジュールで進められるかは当然変わってきます。ある学生は、事例研究を2本並行して進め、それらのなかで用いた方法論についてのレビュー論文でもう1本を賄っていましたし、またある学生は、同種の実験データを用いて2本の独立した論文を書いたりしていました。ですので、以下のスケジュールは模範例などではなく、あくまで一例として見ていただければ幸いです。

 

Dissertationの流れ

1-2年目:前提として、基本的には1-2年目はコースワークをしっかりやり遂げることが目標であり、本格的な研究活動をすることは期待されていない。しかし、余裕のある学生は、論文の研究テーマの設定・データ収集・分析・執筆の各段階をできる範囲で進めており、最も順調な学生は2年次の終わりに執筆する2nd-year paperでもってdissertationの1st chapterにする場合もある。

 

3年目:前半期で、dissertation全体の構想づくりと、各chapterの研究計画を(なんとなくでも)策定する。この年から本格的にdissertationの準備を始めることになるが、残りの3年間で2-3本の研究プロジェクトを完遂させることを考えたら、実は時間の余裕はあまりない(というか、全然ない)。順調な学生は、3年目が終了する時点で、1本目の論文がほぼ仕上がっていて、2本目にそろそろ取り掛かるかー、くらいの感じのステージにいる。順調でない学生は、half-bakedなものが一本あるだけ(あるいはそれ以前)、みたいなことも珍しくない。

 

4年目:この年次でdissertation committeeを立ち上げてproposal defenseをpassしなければならないので、かなり具体的に各プロジェクトを進める必要がある。4年次が終わる段階で、2本の独立した論文が仕上がっていて、3本目の構想がすでに固まっていれば、順調な方なのではないかと思う。

 

5年目+アルファ:最終年の春学期終わりにdissertation defenseを行うので、それに向けてすべての論文を完成させる。しかし、最終年の前半はほとんど就職活動に充てられ、dissertationを完遂させる作業は就職活動が無事終了してからになることが多い(らしい)。就職活動が年度の終わりの方(3月とか4月とか)までもつれ込む場合も全然あると思うので、そういう場合に学生たちがどうやってdissertationを完成させているのかは謎(すごい)。

 

 

上に簡単にまとめたスケジュールのなかで、(おそらく一番)重要な点に触れていませんでした。それは、ジョブマーケットペーパー(以下JMP)です。JMPとは、就職活動するうえで名刺代わりにする論文のことで、大抵dissertationを構成する論文のどれかになります。PhD課程において最も大事なのは、実はdissertation論文”すべて”を質の高いものにすることより、ジョブマーケットペーパーを何よりも強いものにすることにあります(それでほとんど就職活動の成果が決まるため)。ですので、3本の論文に均等に努力投入するということはあまりなく、JMPにかなり傾斜配分することになります。そしてこのJMPのとてつもない重大さが、次のdissertationの審査にも大きくかかわってきます。

 

 

4. Dissertationの審査は厳しい?

 

この問いに関する一般的な答えは、恐らくNOです。よほどひどい出来でなければ、またChairでもある主のアドバイザーが大きなNOを打ち立てていなければ、殆どの場合dissertation defenseはpassするのではないかと思っています(これはあくまで僕の個人的認識ですので、大学や学科によっては事実と異なる可能性が十分あることを改めてご承知おきください)。

理由は明白で、就職活動において一番重要なのが、dissertationではなくJMPだからです。教員側もそれを承知しているため、質の高いJMPでもって就職先が無事見つかったのであれば、dissertation全体のクオリティはそれほど厳格に見る必要はない、という判断をすることになります。とはいえ、先述した通り、PhDの授与はあくまでdissertationの審査によって決まるため、JMP以外の論文はどんなものでもいい、ということでは当然ありません。先ほども言ったように、主のアドバイザーを中心として、どの程度が許容範囲であるとcommittee memberが判断するかに依拠します。このあたりは、教員間のpoliticsも多少なりとも関係してくるところで(例えば、シニアの先生が「これでいい」と言ったらまぁいいか、みたいな)、それは日本もアメリカもあまり変わらないと思います(ただ僕個人の所感では、アメリカの方がその影響は薄いです)。そういうわけで、少なくとも僕が入学してから、dissertation defenseをpassできなかった学生は今のところ存在しません。もし、passできないようなことがあるとしたら、そもそもその段階に至るずっと前のどこかの段階でリタイアしてしまうのだろうと思います(リタイアしてしまった学生はいます)。

 

 

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ここまでの内容を読むと、もしかしたら「実質3年間で3本の論文とか、無理ゲーじゃね?」と思う方がおられるかもしれません。実際、近年ではすぐに手に入るパブリックなデータを使ってできる簡単な分析ではトップジャーナルに載せることは殆ど不可能になってきているので、テーマ選びやデータ収集に多大な時間を割かれることも少なくありません。僕の場合は、テーマは割とすんなり決まりましたが、データがとにかく膨大で、電子化作業が必要だったために、入学して間もないころからデータ収集を進めていました。このような理由から、5年間で修了できる学生の数はかなり少なくなってきています。ただしそれでも、dissertationを順調に進めるコツ(というか裏技?)のようなものはあると思っています。それは、ゴリゴリ研究を進めてくれる若手の優秀な先生(学内外問わず)を見つけて、共著者になってもらうことです。そういう先生は(シニアの先生と比べても)最新の研究の流れや方法論に精通していることが多く、論文化するうえで大きな助けになってくれるでしょうし、先生自体にも(まだtenuredでない等の理由から)publication pressureがある場合にはプロジェクトをガンガン進めてくれるかもしれません。いや、勿論学生自身が主導権を持って進めるべき、というのは当たり前なのですが。。。それでも優秀で仕事の早い人が共著者にいることほど、dissertationを円滑に進めてくれる存在は他にないと思います。

 

さて、簡単にではありますが、ビジネススクールのPhD課程におけるdissertationについてまとめました。ここのブログでも再三述べていますが、上で述べた内容はあくまで僕個人の知識と体験に基づくものであり、アメリカの各ビジネススクールにインタビューして回ったわけでは当然ありません。なので、他のスクールには他のスクールのルールがあると思います。とはいえ、アメリカのビジネススクールのPhD課程においてdissertationがどういう仕組みになっているのかについての情報は僕の知る限りあまり存在しなかったので、ここで書いた内容が少しでも役に立てば幸いです。それでは、また。