博士論文のプロポーザルディフェンス

二か月前の5月18日、博士論文(dissertation)のプロポーザルディフェンスというものがあり、無事パスしました。今日は簡単に、アメリカビジネススクールのPhD課程において、dissertationというものがどういうもので、どういうプロセスで進めていくのか、どのような水準のものを求められるのか、といったことについて僕の知る限りのことをまとめたいと思います。

 

1. Dissertationとはなにか

 

Dissertation、すなわち博士論文とは、言ってみればその完成がPhD課程の主目的と言ってもいいもので、卒業見込みの年度に行うdissertation defense(博士論文審査)をpass*することでPhDが授与される、という仕組みです。殆どの米国のビジネススクールでそうなのだと思いますが、dissertationの構成は基本的に、大作の一本の論文ではなく(恐らく日本の大学院ではこちらが主流)、2-3本からなる独立した論文を組み合わせることで成り立ちます。それぞれの論文が何らかの形で連関していることが望ましいとされていますが、到底結びつきそうもない別々のテーマの論文を無理やり組み合わせてdissertationとしている学生もいます。このような2-3本の独立した論文、という構成をもつ背景には、PhD課程で期待される大学院生に対するトレーニングが、学会誌に投稿するに足るクオリティの論文を書けるようになることを一つのゴールとしているからだと思っています。ですので、恐らく多くの学生はdissertationを完成させる、というよりも、2つから3つの独立したプロジェクトを完遂し、それぞれの論文の学会誌への投稿を目指す(その中の一つが通常、下で説明するジョブマーケットペーパーとなります)ことがまず第一目標として存在し、その”副産物”としてdissertationが出来上がる、といったプロセスを踏むことが多いのではないかと思います。順調な学生であれば、在学中に1本から2本、博士論文を構成する論文を学会誌に投稿(ジョブマーケットに出る段階でR&R以上のステージ)しているケースが見られます。

 

* ちなみにdefenseの結果には、Pass(合格)・Conditional pass(条件付き合格)・Fail(落第)の三種類があります。二つ目の条件付き合格とは、「こことここを直せたら合格でいいよ」ってことです。

 

2. Dissertationの手続き

 

それでは、そのようなdissertationは5年間(あるいはそれ以上)のPhDプログラムの中で、どのような手続きを経るのでしょうか。Dissertationにおいて大きな役割を果たすのが、Dissertation committeeと呼ばれる、dissertationを審査する教員たちの委員会の存在です。先ほど、一般的にdissertationは「2-3本からなる独立した論文を組み合わせることで成り立」つと言ったのですが、厳密にこうでなければならないといったルールは恐らくありませんし、学科によって期待されるものはバラバラだと思います(例えばHistory departmentでは、一般に400ページ超の長編論文を仕上げることが期待される、と聞いたことがあります)。結局のところ、dissertation proposal defenseおよびdissertation defenseにおいて、審査委員会が問題ナシと言うかどうかが肝要です。

また、もしかしたら、dissertationの論文は全て学生一人で仕上げなければならないと思っている方がおられるかもしれませんが、実は共著論文でOKです。僕のスクールでは、論文3本のうち、少なくとも1本が単著であれば、他1-2本は教員(あるいは他の学生)との共著で構わないとされています。ここでいう共著者には、committee memberになってもらう教員(アドバイザー等)も含みます。正直なところ、dissertationを構成する論文の共著者がdissertation committeeに入っているのってどうなんだろう、と思ったこともあります。ただこれは、近年の研究プロジェクトの長期化・大規模化によって学生一人でプロジェクトを行うハードルが上がっていること、また5年間という限られた期間で複数のプロジェクトを完遂することを期待されていることから、致し方ないことだとは思います。このように、教員との共著論文でdissertationを構成するという仕組みは、もしかしたら日本の経営系の大学院と大きく違うところかもしれません。

 

さて、Dissertationの公式的な手続きは、大きく分けて以下の三つに分けられます。

 

I. 論文審査委員会(dissertation committee)の立ち上げ(大体3年目の終わり~4年目の中頃まで)

II. Dissertation proposal defense(4年目の中頃~終わりまで)

III. Dissertation defense(5年目の終わり)

 

ただ、最近では5年間でプログラムを修了する学生は少なく、6-7年目にまたがることも多いので、その場合はIIとIIIの間にもう1-2年の期間が追加される形になります。

Iの論文審査委員会には先ほども少し触れましたが、学生自らが自分の博士論文を審査してもらう先生を選択して構成されるもので、学生自らが直接お願いをして委員会への参加を承諾してもらう必要があります。僕の学科の場合、委員会は5-6名で構成され、主のアドバイザーがCommittee chair、サブのアドバイザーにCo-chairになってもらうケースが多いです。また、Dean's representativeというポジションがあり、これは同じ大学に属しており、かつ学科”外”の先生になってもらう必要があります。これは、学科における審査プロセスが公正に進められているかを監督する役割です(と、理解しています)。僕は研究にhistorical dataを用いており、また研究領域も近かったことから、history departmentの先生にお願いをしました。その他のメンバーですが、これは正規の大学に所属する教員であれば学科の中でも外でも良く、また同じ大学である必要もありません。さらには、tenuredである必要もありません(ただpost-docとかはダメ?この辺はよくわかりません)。僕の場合は、一人は同学科の、dissertation以外のプロジェクトで共著者となっている先生にお願いをし、もう一人は日本にいたころに大変お世話になり、また現在のスクールの先生方とのつながりも深い日本人の先生にお願いをしました(defenseはハイブリッドで行われているため、Zoomで参加をしていただく)。

 

3.学生はどういうスケジュールでDissertationを進める?

 

学生が具体的にどうやってdissertationを進めていくか、ということについてですが、大前提として、「こうあるべき」というdissertationの進め方はありません。学生によって進捗の仕方は様々であり、プロジェクトの大小や研究手法・データの性質(例えば、実験データか観察データか)、問いの種類などによってどのようなスケジュールで進められるかは当然変わってきます。ある学生は、事例研究を2本並行して進め、それらのなかで用いた方法論についてのレビュー論文でもう1本を賄っていましたし、またある学生は、同種の実験データを用いて2本の独立した論文を書いたりしていました。ですので、以下のスケジュールは模範例などではなく、あくまで一例として見ていただければ幸いです。

 

Dissertationの流れ

1-2年目:前提として、基本的には1-2年目はコースワークをしっかりやり遂げることが目標であり、本格的な研究活動をすることは期待されていない。しかし、余裕のある学生は、論文の研究テーマの設定・データ収集・分析・執筆の各段階をできる範囲で進めており、最も順調な学生は2年次の終わりに執筆する2nd-year paperでもってdissertationの1st chapterにする場合もある。

 

3年目:前半期で、dissertation全体の構想づくりと、各chapterの研究計画を(なんとなくでも)策定する。この年から本格的にdissertationの準備を始めることになるが、残りの3年間で2-3本の研究プロジェクトを完遂させることを考えたら、実は時間の余裕はあまりない(というか、全然ない)。順調な学生は、3年目が終了する時点で、1本目の論文がほぼ仕上がっていて、2本目にそろそろ取り掛かるかー、くらいの感じのステージにいる。順調でない学生は、half-bakedなものが一本あるだけ(あるいはそれ以前)、みたいなことも珍しくない。

 

4年目:この年次でdissertation committeeを立ち上げてproposal defenseをpassしなければならないので、かなり具体的に各プロジェクトを進める必要がある。4年次が終わる段階で、2本の独立した論文が仕上がっていて、3本目の構想がすでに固まっていれば、順調な方なのではないかと思う。

 

5年目+アルファ:最終年の春学期終わりにdissertation defenseを行うので、それに向けてすべての論文を完成させる。しかし、最終年の前半はほとんど就職活動に充てられ、dissertationを完遂させる作業は就職活動が無事終了してからになることが多い(らしい)。就職活動が年度の終わりの方(3月とか4月とか)までもつれ込む場合も全然あると思うので、そういう場合に学生たちがどうやってdissertationを完成させているのかは謎(すごい)。

 

 

上に簡単にまとめたスケジュールのなかで、(おそらく一番)重要な点に触れていませんでした。それは、ジョブマーケットペーパー(以下JMP)です。JMPとは、就職活動するうえで名刺代わりにする論文のことで、大抵dissertationを構成する論文のどれかになります。PhD課程において最も大事なのは、実はdissertation論文”すべて”を質の高いものにすることより、ジョブマーケットペーパーを何よりも強いものにすることにあります(それでほとんど就職活動の成果が決まるため)。ですので、3本の論文に均等に努力投入するということはあまりなく、JMPにかなり傾斜配分することになります。そしてこのJMPのとてつもない重大さが、次のdissertationの審査にも大きくかかわってきます。

 

 

4. Dissertationの審査は厳しい?

 

この問いに関する一般的な答えは、恐らくNOです。よほどひどい出来でなければ、またChairでもある主のアドバイザーが大きなNOを打ち立てていなければ、殆どの場合dissertation defenseはpassするのではないかと思っています(これはあくまで僕の個人的認識ですので、大学や学科によっては事実と異なる可能性が十分あることを改めてご承知おきください)。

理由は明白で、就職活動において一番重要なのが、dissertationではなくJMPだからです。教員側もそれを承知しているため、質の高いJMPでもって就職先が無事見つかったのであれば、dissertation全体のクオリティはそれほど厳格に見る必要はない、という判断をすることになります。とはいえ、先述した通り、PhDの授与はあくまでdissertationの審査によって決まるため、JMP以外の論文はどんなものでもいい、ということでは当然ありません。先ほども言ったように、主のアドバイザーを中心として、どの程度が許容範囲であるとcommittee memberが判断するかに依拠します。このあたりは、教員間のpoliticsも多少なりとも関係してくるところで(例えば、シニアの先生が「これでいい」と言ったらまぁいいか、みたいな)、それは日本もアメリカもあまり変わらないと思います(ただ僕個人の所感では、アメリカの方がその影響は薄いです)。そういうわけで、少なくとも僕が入学してから、dissertation defenseをpassできなかった学生は今のところ存在しません。もし、passできないようなことがあるとしたら、そもそもその段階に至るずっと前のどこかの段階でリタイアしてしまうのだろうと思います(リタイアしてしまった学生はいます)。

 

 

************************************************************

 

ここまでの内容を読むと、もしかしたら「実質3年間で3本の論文とか、無理ゲーじゃね?」と思う方がおられるかもしれません。実際、近年ではすぐに手に入るパブリックなデータを使ってできる簡単な分析ではトップジャーナルに載せることは殆ど不可能になってきているので、テーマ選びやデータ収集に多大な時間を割かれることも少なくありません。僕の場合は、テーマは割とすんなり決まりましたが、データがとにかく膨大で、電子化作業が必要だったために、入学して間もないころからデータ収集を進めていました。このような理由から、5年間で修了できる学生の数はかなり少なくなってきています。ただしそれでも、dissertationを順調に進めるコツ(というか裏技?)のようなものはあると思っています。それは、ゴリゴリ研究を進めてくれる若手の優秀な先生(学内外問わず)を見つけて、共著者になってもらうことです。そういう先生は(シニアの先生と比べても)最新の研究の流れや方法論に精通していることが多く、論文化するうえで大きな助けになってくれるでしょうし、先生自体にも(まだtenuredでない等の理由から)publication pressureがある場合にはプロジェクトをガンガン進めてくれるかもしれません。いや、勿論学生自身が主導権を持って進めるべき、というのは当たり前なのですが。。。それでも優秀で仕事の早い人が共著者にいることほど、dissertationを円滑に進めてくれる存在は他にないと思います。

 

さて、簡単にではありますが、ビジネススクールのPhD課程におけるdissertationについてまとめました。ここのブログでも再三述べていますが、上で述べた内容はあくまで僕個人の知識と体験に基づくものであり、アメリカの各ビジネススクールにインタビューして回ったわけでは当然ありません。なので、他のスクールには他のスクールのルールがあると思います。とはいえ、アメリカのビジネススクールのPhD課程においてdissertationがどういう仕組みになっているのかについての情報は僕の知る限りあまり存在しなかったので、ここで書いた内容が少しでも役に立てば幸いです。それでは、また。

PhD3年目~4年目とTeaching requirement

皆さんこんにちは。年の瀬にもなって今年初の投稿になります。またまた長い間ブログを放置していました。今年を簡単に振り返ると、今年(PhD3年目~4年目)は今まで以上に、というかこれまでのなかで一番忙しい一年だったように思います。当初は、がっつりコースワークを受けさせられる1,2年目が一番大変かと予想していたのですが、蓋を開けてみれば、求められることが明確だった1,2年目の方がラクだったようにも思います。

 

2021年の実績という形で活動を簡単に振り返ると、

  • アクセプトされた投稿論文が一本
  • ワーキングペーパーが二本、うち一本はReject & Resubmit
  • 学会発表が7件(!)
  • 夏学期中の学部生授業のTeaching
  • 未だ形になっていない進行中のプロジェクトが4本

といった感じで、僕の分野の基準で言えばまずまずだと思うのですが、今後はJob Market Paperに向けた新しいプロジェクトにも本格的に取り組まなければならなくなり、にもかかわらずカタがついていないプロジェクトが多すぎるので、来年度の上旬はまずこれらのプロジェクトに区切りをつける作業がメインになってくるかと思います。

 

学会発表については、こんなにやるつもりは全くなかったのですが、僕のスクールの若手の教員が、僕の学会でのexpositionを高めていこうとの”思いやり精神”から、AOMやSMSのみならずひたすら学会発表に僕らの共同研究を投稿していったため、このような結果となりました。結果としてはいい経験になったのですが、コロナ禍ですべてオンライン開催ということもあり、通常とは異なる形でのプレゼンテーションではありました。

 

さて、今回はタイトルにもあるように、Teachingについて話そうと思います。よく知られていることですが、北米のビジネススクールのPhD課程であれば、5年間のプログラムに関して授業料免除+給与といった形で生活の補助が出る場合が多い(殆ど?)と思います。しかし、勿論給与は給与なので、タダでもらえるわけではなく、通常はRAやTAといった形でアシスタントの形態をとります。僕のスクールでは、通常はRAという形で教員のもとでの研究補助に対して給与が支払われており、それにプラスしてプログラム中原則”二回”のTeachingを行う必要があります(僕の場合はFundingの形態が他の学生と異なっていたため、一回のTeachingで済みました)。これは、Teaching Assistantではなく、LecturerとしてのTeachingです。つまり、自分ひとりで授業の全体を設計する必要があるということです。

受け持つ授業については既に決まっており、学部3-4年生向けのStrategic Managementの授業です。毎学期開講されているコア科目であり、歴代の院生や若手教員が受け持ってきた授業なので、既に十分な知見の蓄積があり、基本的には過去の年度で使われたシラバス・授業資料(スライド)・課題などを受け継いで、それに沿って授業を行うことができます。しかしながら、受講する学生については当然初めての授業ですし、向こうも我々を一人の教員としてみてくるので(大学院生であることが分かっていても、向こうは僕らをProfessorと呼びます)、一定のクオリティ以上のものを提供しなければならない、というプレッシャーがあります。あまりにひどい授業になってしまうと、学生は容赦なく低いTeaching evaluationをつけてくるので、それは引いては僕たちにとってjob marketなどでの悪いシグナルにもなりえます。なので、相当量の準備時間と予行演習が必要でしたし、6月頭から約一か月ほどの短期集中講座だったのですが、その前一か月を含めた三か月くらいは何らかの形でTeachingに時間を奪われる状態が続きました。とりわけ、コロナ禍ですべての授業がオンラインで展開され、それについては多くの経験がスクールに蓄積されていない状態だったので、そういう意味では手探りで進めていかねばならない部分もあったように思います。

 

さて、実際の授業の中身ですが、先ほども言ったように通常のセメスター(3,4か月)と同等量の授業を夏学期の集中講座(約1か月)で行うデザインになっているので、通常とは異なり、1回3時間の授業が全12回という形になっていました。大体前半1時間半-2時間をlecture、後半部分をclass discussionという形です。Class discussionでは、毎授業課されたCase reading(基本的にHarvard Business Reviewのケーススタディに基づきます)について事前に課題をやってきてもらい、それに関連したテーマについてブレイクアウトルームを使ってディスカッションしてもらい、最後に全員で議論する、といった流れです。当たり前というか今更ですが、すべて英語です!単に、話す内容(台本)を考えて、それを淡々と話すだけなら英語でもそれほど苦ではありませんが、実際の授業では学生の質問や発言内容を受けてそれに返答したり、時間の進捗に合わせて議論の流れをコントロールしたりといった柔軟性が求められるので、それをすべて英語でやらなければならないというのはかなりのプレッシャーでした。

 

各講義回で扱う内容は以下の通りです。

1. Overview

2. Positioning view + Case: Target

3. RBV + Case: Disney

4. Generic strategy (Low-cost leadership vs. Differentiation) + Case: Trader Joe's

5. Innovation I (Life cycle, Patterns of innovation, Disruptive innovation etc.) + Case: Netflix

6. Innovation II (New entrants vs. Incumbents, Externality, Complementarity etc) + Case: Nintendo

7. Corporate strategy (Diversification, Alliance, M&A etc.) + Case: Google

8. Class recap session

9. Final exam

先ほど全12回と言いましたが、実際に講義自体は9回分で、残りのセッションは最終プレゼン課題のためのディスカッションに使われています。

大体スケジュールの流れをおさらいすると、以下のような感じになっていたかと思います。

 

  • 授業開始1か月前-2週間前まで

講義計画、シラバスの作成と授業で扱う論文・Case reading・教科書などの読み込み、講義資料(スライド)・課題・採点基準の作成など

  • 授業開始2週間前-開始まで

学生へのアナウンス、講義資料の完成と台本の作成、予行演習など

  • 第一回授業から最終試験まで

授業の実施、各課題の採点、オフィスアワー、学生への伝達等

  • 最終試験後

試験の採点、final grading、学生の苦情対応、Teaching evaluation等

 

非常に大まかにまとめるとこのような感じになります。やはり「授業開始1か月前-2週間前まで」の下準備に多大な労力を削られたと思うのですが、アメリカの学生の場合、成績や採点等に関してかなり敏感なので、最終試験後の採点やgradingにもかなり神経を使いました。実際、2,3人の学生から、最終試験後の採点に対するクレーム(のようなもの)が来ました。しかし、そのすべてが単なる我儘というか、合理性に欠くものに留まってたのは、かなり厳密に採点基準を明確化し、よほどのエラーでない限り採点の変更可能性が低いことを厳しく通達したことが功を奏したのかもしれません。

 

人生で初めて授業を行うこととなり、しかもそれがオンラインということで、初回は特にかなりの緊張がありましたし、始まる前からかなり憂鬱だったんですが、始まってみれば意外に、というかかなり楽しくて、学生が理解していることが分かると素直に嬉しいですし、一部の学生を除けば基本的に学生は皆素直で学ぶ意欲をきちんと見せてくれるので(中には、毎授業後のオフィスアワーで必ず質問しにくる子もいました)、そういう意味でもやり甲斐は非常にあったと思います。結果としてTeaching evaluationも留学生の中ではかなり良い方(3.7/4.0)でしたし、いい経験になったと思います。自分自身それほど戦略論ど真ん中の人間ではないので、そういった意味で授業をやることを通じて僕自身が学ぶものが多かったというのもプラスでした。

 

さて、今回は非常に簡単にTeaching requirementに話しましたが、再三言ってきたように、これはあくまで僕のスクールでの僕個人の経験であり、受け持つクラスの内容や学生の学年、授業形態や新規開講科目かどうか(これは結構重要)によって、難易度ややり方も大きく変わってくると思います。一つ言えるのは、僕を含めた多くの留学生にとってTeachingは大きなプレッシャーのかかる、できればあまりやりたくないことなのではないかと思いますが(実際僕も留学前に、前指導教官に「留学でTeachingが一番大変だった」と言われていました)、僕の場合はやってみたら思いのほか楽しかったし、やり甲斐も得られたものも非常に大きかったのではないかと思っています。勿論、すべてを英語でやらなければならないので、それを乗り切るだけの英語力と胆力、そして何より努力投入が必要とされます。それでも、留学を考える際に、Teaching requirementがあるからといってあまり尻込みせずに、前向きにとらえてもらえればきっと得られるものも多いんじゃないかと思います。それでは、また。

ビジネススクールの海外PhD留学への出願③

凡そ一年前に、タイトルの内容について書いていて、第三弾を書かなければと思いつつ全然書けていなくて、気づいたら一年経っていました。どうにも習慣づけることができない。ともあれ、過去二回で簡単にしか触れられなかったビジネススクールとアドバイザーの選び方について、僕の体験を踏まえて簡単にお話しできればと思います。

 

何度も言うようですが、PhD留学をするうえでどのようにスクールを選ぶか、といった問題は分野によって異なるだけでなく、一人ひとりの目標や目的によって異なることは言うまでもありません。例えば、「大学ランキングで凡そ〇位以上の大学でなければ、留学をする意味はない」といった言説を耳にしたことがあります。僕はこういった考えを否定する気はありませんが、決して好きな考え方ではないし、良いアドバイスだとも思いません。むしろ、そうやって留学へのハードルを上げることによって留学に臆してしまう人が増えるという負の要素が大きいと思います。大学ランキングが重要な指標の一つであることは間違いないと思いますが、それをある種選択集合を規定するための手段として用いたり、「自分の今いる大学より低いランクの大学に行く意味はない」といったような思考はあまり良い方法だとは思いません。

 

特に北米ビジネススクールへのPhD留学を考える人にとっては、特に大学ランキング以外の要因をしっかり調べることが重要であると思います。その理由は、大きく分けて三つあります。

一つは、個々の学部の質と大学全体の質は全く別物であるという点です。どの大学ランキングをとってもTOP10に入るような大学なら別かもしれませんが、世界にあるほとんどの大学はそうではない訳で、そういった大学においてはやはり”強い”学部と”弱い”学部が存在します。また、どのようにスクールの質を測るのか、といった問題も勿論あります。PhD課程において最も重要なことは、やはり何においても人材、すなわち教員の質だと思います。例えば、僕の所属するメリーランド大学スミススクールは、教員の研究能力で見たランキングにおいて北米第5位です(TAMUGA Rankings - Rankings)。しかし、Times Higher Educationにおける全学部の総合ランキングでは77位(2021年時点)です。また、隣の経済学に関して言えば、US Newsのランキングで21位です(Best Economics Schools - Top Social Sciences - US News Rankings)。このように、領域によってランクには大きなばらつきがあります。また、仮に自分の目指す領域におけるランクが高い大学であったとしても、そこに留学して自分が必ず満足できるとは限りません。それには、以下で挙げるような理由が影響してきます。

 

二点目は、コースワークの内容がスクールによって異なることが往々にしてあるということです。これは、例えば隣接の経済学などでは起こりにくい問題です。経済学では、例えばミクロ・マクロ・エコノメというように”柱”があって、それらの基本をしっかり身に着けたうえで応用・発展領域までカバーする、といったステップを踏んでいくものと思われます。それぞれの領域には定番とされる教科書(ミクロならMasCollel、エコノメならGreeneとかWooldledgeとか)があり、授業の内容もかなりの程度標準化されています。ビジネススクールの多くの領域では、残念ながらこのようなことがありません。例えば僕が専攻するStrategic Managementは大きくEconomicsベースの流派とSociologyベースの流派がありますが、両方の流派の教員がバランスよく揃っているとは限りません。むしろ、僕の認識では、スクールによって偏りがあり、そしてその偏りがある種スクールのアイデンティティというかカラーになっている節があります。

僕のスクールに関して言えば、Econometricsを含めた社会科学的方法論全般に詳しい教員が多く、それがスクールのカラーになっていると思います。実際、2年間のコースワークのなかで、方法論に関する授業を4つも取らされました。僕はこのカラーに非常に満足していますが、実は留学前にはこういったカラーがあることを認識していませんでした。こういった情報は大学ランキングなど数値的な指標には決して現れてこないので、自分のアドバイザーになってほしい教員のみならず、どのような教員がスクールに在籍しているのかを事前にしっかり調べておくことは重要だと思います。

 

最後に、やはりアドバイザーの問題です。ビジネススクールの場合、指導を受けたい教員が予め決まっている状態でスクールを選ぶことが多いのではないかと思います。なので、スクールを選ぶ、というよりアドバイザーを選ぶ結果として志望校が決まる、といった表現の方が適切かもしれません。これは、二点目とも関連するように、どのような学修・研究ができるかはどのような教員がいるかに完全に依存するからです。勿論ほとんどの先生は、多少関心の齟齬があったとしても柔軟に対応してくれることと思いますが、やはり自分が追究したテーマをしっかり突き詰めたいと考えるのであれば、フィットの高い教員がいるスクールを目指すことは重要です。これはひいては、Statement of Purposeなどで自分とスクールとのフィットをアピールするうえでも重要になると思いますし、事前に教員とコンタクトをとってスクール選びの材料にするうえでも重要です。

 

 

ここまで述べてきたように、自分に合うビジネススクールを選ぶことは決して簡単なことではないと思います。僕の場合はどうだったかというと、正直に言って自分自身慎重にスクールを選んだとは思っていません。面倒くさがりな性格のせいで、留学したいという思いは強いけれども、実際のスクールの探索はちっとも手につかない、といった状態でした。どうしてもこの人の元で学びたい、という強い思いがあったわけではなかったので、基本的には自分が過去に読んできた論文や自分の研究に引用した論文の中でとりわけお気に入りの論文を引っ張り出して、その著者が所属する大学を順番に調べる、といったステップを踏みました。また、自分が好きなジャーナルのEditorを上から順番に調べる、といったこともしたような記憶があります。

こうしたステップの結果、最終的に7人(7校)に候補が絞られ、そのうち3校からオファーをもらうことができました。そのうちの一つであるメリーランドにこうして今在籍しているのですが、現在のメインの指導教官は、実はその時に選んだ先生とは違う先生です。そういった意味で僕の留学は巡りあわせというかギャンブル要素が強かったような気がしています。結果として僕は今の環境に非常に満足しているのですが、それは偶々で、「何でここにきてしまったんだ」という思いを抱いてしまう可能性も十分にあったと思います。だからこそ、ビジネススクール選びは慎重に行うべきだと感じます。

 

非常に簡単にですが、ビジネススクールPhDのスクール・アドバイザー選びについてお話ししました。この記事を読んでくれた方のスクール選びに少しでも役に立てば幸いです。それでは、また。

Comprehensive exam


もう3ヶ月前の話になりますが、進級試験であるComprehensive exam (コンプ)がありました。お疲れさまでした。コンプとは簡単に言えば、最初の2年間のコースワークで受けてきた内容をきちんと理解できているかを確認する試験です。うちのスクールではcomprehensive examと呼ばれていますが、大学や学科によっては、qualifying examやgeneral examなど、様々な呼称があるみたいです。ですが、役割としては基本的に同じです。PhD課程では、このコンプを乗り切れるかが一つ目の大きな関門であり、これをクリアできなかった場合、課程に留まることができなくなってしまうこともあります。

ビジネススクールでは授業の大半が論文輪読形式になっているので、コンプで問われる内容もこれまで輪読してきた論文を踏まえた問題が課されます。これまでに受けた授業のすべてが範囲になっていたので、文字通り”すべて”の論文を復習する必要があり、それが本当に大変でした。ふと気になったのでこれまで2年間のコースワークで読んできた論文の数を数えてみたところ、延べ388本でした。これには自発的に読んだものや研究に関わるものとして読んできたものを含めていません。Assignmentだけでこれだけの量なので、我ながらよく乗り越えたものだと感心しています。留学を始めて間もないころに、授業のシラバスを見て思わず笑ってしまったのは、今でも覚えています。

 

僕はStrategic management & entrepreneurshipの学科に所属しています。これはいわゆる戦略論(及び企業家論)と呼ばれるものですが、僕自身は戦略論に関わる研究はほとんど行っていません(関心もあまりありません)。それでもこの学科に所属していられるのは、やはり経営学自体が非常に緩く定義されていて、かつ非常に学際的であることの証左であるとも言えます。実際、うちの学科に所属しているfacultyのバックグラウンドも、economics、sociology、history、political scienceと多岐にわたります。

 

そんなStrategic management & entrepreneurship(長い)学科でのコンプは4日間にわたって開催されました。このコンプでは、僕がこの学科でこれまで受けてきたコースワークを大きくEconomics、Strategy & Entrepreneurship、Sociologyという3つのbucketに分けて、1日あたり3時間、それを3日に分けて受けることになります。経営学にはPsychologyベースの研究領域もありますが、それはOrganizaiton Behaviorという隣の学科の範疇になっています。最後の4日目は自分が指名した指導教官から自分用にTake-home examが課されます。誰の参考になるかはわかりませんが、僕がこれまで受けてきた授業を、カテゴリーごとに分けると以下のようになります。

 

Strategy系 (3つ)- Overview of strategy & entrepreneurship; Innovation & entrepreneurship; Entrepreneurial ecosystem

strategy系の授業がassignされた論文が一番多かったです。特に一つ目のOverviewのコースは戦略論全体を俯瞰するような感じの授業だったので、assignされる論文の幅も広く、かつ古典的なものが多かった記憶があります。論文の数もこの授業だけで一日7~8本課され、かつ担当に割り当てられた場合は授業中のディスカッションをリードするためのスライドをかなり時間をかけて準備する必要があったので、結構しんどかったです。

 

Economics系(3つ)-Formal theory; IO economics; Organizational economics

一つ目は数式モデルを用いた理論系の論文、二つ目はIO実証系、三つめはTransaction cost economics、property right theoryなどのorganizational boundary系の論文を中心に輪読していく授業です。米国のビジネススクールには経済学バックグラウンドの教員が多く在籍している傾向にあり、僕のスクールも例外ではありません。一つ目の授業は一年目の一番最初に受講した授業であり、僕のアドバイザーの授業でもあったのですが、最初のころはわからなすぎて本当に大変でした。しかし、この授業のおかげで理論モデル系論文への抵抗感が多少なりとも拭えたので、結果として凄く為になったのだと思います。

 

Sociology系(2つ) -Organizational theory; People & performance

僕が最も準備に手こずった領域です。Sociology系の論文は(特に古典は)本当に読むのがしんどい(嫌いなわけではありませんが)。ちなみに一つ目のOrganizational Theoryでは、institutional theoryを中心に扱い、付随的なものとしてoptimal distinctiveness、materiality、social movementなどをカバーします。二つ目のPeople & performanceは、教員も経済学者で、輪読するのもほぼ経済学系の論文だったのですが、諸事情によりsociology bucketに入れられました。ちなみにこの授業は、受講生が僕ともう一人(うちのスクールで一番賢いアメリカ人)だけだったので、精神的に一番しんどかったです。なお、本来ならばもう一つ、Organizational ecologyやSocial network theory系のトピックをカバーするSociological Foundationという授業があったのですが、他授業とスケジュールが被ってしまったため、結局履修できずじまいでした。

 

Methodology系(4つ) - Strategy & entrepreneurship research method; Research method foundations (micro-perspectives); Modern quantitative method; Qualitative method

いま思えば、ビジネススクールのなかで、research methodのみを扱う授業を4つも履修させるというのは、比較的珍しい方なのではないかと思います。米国のビジネススクールには、例えば実務との距離が近く、より実践的な戦略論が得意なスクールや、sociology系に強いスクールなど、それぞれのカラーがあるかと思いますが、それで言うとうちのスクールは、方法論を重視するというのが一つのカラーではないかと思います。これは、僕自身うちのスクールにおいて最も気に入っている点であり、ここに来て良かったなぁと心から思えている大きな理由の一つでもあります。

 

最後のresearch method系の授業はかなり実践的な内容ではあったのですが、僕個人としてはこれとは別に、より基礎的な方法論である経済学部のeconometricsの授業を三つと、microeconomicsの授業を履修しています。Econometricsの授業はひたすら行列をくるくる回したり入れ替えたりするもので、もともと経済学のフォーマルなトレーニングを受けていない僕には最初はやや辛かったのですが、これは受けておいて本当に良かったと思います。他学部の人からしたらもしかすると驚きかもしれませんが、ビジネススクールではこういった基本原理的なeconometricsをきちんと学ぶことってほとんどないのではないかと思います。また、それを学んできていないにもかかわらず統計分析を行っている自分に負い目も感じていたので、それを拭えたのは非常に良かったと思っています。

 

話がコンプからやや脱線してしまいました。お隣の経済学などでは、コンプはかなりハードルが高いもので、下手の成績を残してしまうと本当に追い出されてしまう、といったことがあるかと思いますが、ビジネススクールではあまりそういったことはなく、どちらかというとコースワークの理解度を確かめ、candidateとしてのステップを踏み出すための通過儀礼としての意味合いが強いのではないかと思います。というのも、ビジネススクールではそもそも同学科同学年の学生数が極めて少ない場合がほとんどだからです。僕の学科にも同学年では僕ともう一人だけ、一つ上の学年は一人だけ、といった具合です。FinanceやAccounting、Organization Behaviorなど全ての学科を含めても、一学年10人前後です。うちのスクールの場合、そもそもadmissionの段階から学科ごとに分かれており、これは経済学との大きな違いだと思います。つまりは、cohort内での競争があまりないので、ふるいにかけられることもあまりない、ということです。これが良いのか悪いのかは何とも言えないと思いますが、ビジネススクールでPhDを志す人間がそもそもそれほどいないということと、また先ほども言ったように、経営学の学際性や領域の曖昧性などを考えると、自然な成り行きかな、という気もしています。 

 

やや長くなってしまいましたが、何はともあれ、コンプを無事パスし、PhD candidateになることもできました。ここからはとにかく研究に専念し、dissertationを書き上げ、どこかしらの大学や研究機関でポジションを得るために奔走していくことになります。正直に言うと、ここまでの2年間でPhD留学で期待していたものの大半は得られたような気がしているのですが、それも所詮当初の僕の想定の中での話なので、今後は研究面で自分が想像もしていなかったような経験が得られることを期待しつつ、邁進していこうと思っています。それでは、また。

 

近況

こんにちは。かれこれ半年ほど更新をしていませんでした。更新が滞っていたのに特に深い理由があるわけではなく、単に自分が怠け者であったのに加えてここ最近研究等でバタバタしてしまっていたためです。

 

しかし、ブログの更新が滞ったタイミングとコロナショックのタイミングが被っていたため、一部の方にご心配をおかけしまったかもしれません。申し訳ないです。今後は怠けず、しっかりと書く習慣を取り戻したいとおもいます。

 

2020年に入っての初記事(もう9月なんですけど)なので、ここまでの近況を簡単に振り返りたいと思います。個別のテーマについてはまた改めて詳しく記事にする日が来るかと思います(来ないかもしれません)。

 

まず、年始は日本に一時帰国をしており、1月末にメリーランドに戻ってきていたのですが、そのタイミングで妻が僕に同行し、こちらで一緒に暮らし始めることとなりました。妻は大学卒業以来、まる5年間勤めつづけていた某大手おもちゃメーカーを退職し、僕のPhD留学についてきてくれました。よく誤解されるのですが、配偶者の海外在留について行く海外生活、というと非常に華やかな生活をイメージする方がいるかと思います。”駐在妻(夫)”といった社会カテゴリーがわざわざ存在するのは、それが他者から羨望を集める”ステータス”を有した存在であるからに他なりません。しかし、僕らの生活の実態はそれとは程遠いものです。詳しくはまた別記事で書きますが、妻は非常に難しい決断をして僕について来てくれたのだと思います。

 

ともあれ、妻がメリーランドに来て一緒に生活してくれるようになったことで、生活の質は格段に向上しました。毎日の食事の準備や掃除・洗濯などを欠かさずにやってくれていて、本当に頭が上がりません。初めは、やはり慣れない土地で言葉も通じず、かなりのストレスを抱えていたようですが、結果として僕よりも適応のスピードは速かったのではないかと思います。

 

妻がこちらの生活に慣れ始めたかな、といった段階で起きたのが件のコロナショックです。大学の機能はほとんどストップし、春学期の授業は2月の終わりごろから全てオンラインに移行する運びとなりました。研究室の荷物をすべて自宅に持ち帰り、リビングの一部を研究室とする生活が始まりました。もともと自宅で研究はできない質だったのですが、これも妻が来てくれた影響(監視の目があるとサボリにくい)で、思いのほか大きな影響を受けずに研究ができています。

 

コロナショックは、社会全体として大学の意義を問い直す一つの契機となっているようですが、まさに留学真っただ中である僕自身も、”機能”としての大学、あるいは留学をするということそのものについての実際的な意義をぼんやり考えるようになりました。というのも、授業もオンライン、セミナーもオンライン、ミーティングもオンライン。あらゆる活動がオンラインであり、実質的に僕はアメリカにいようが日本にいようが大差ない状況に直面しているのです。しかし、せっかく遠路はるばるアメリカまでやってきたのに、”留学”というものに本来付随されるべき便益を享受できないでいるというこの状況が、かえって”留学”をしていることで得てきたものを再認識するようにもなりました。逆説的ではありますが。これも別記事で詳しく書こうかと思います。

 

それから、もう三か月前の話になりますが、PhD課程における三大イベント(残り二つはJob marketとDissertation defense)の一つと言ってもいい、Comprehensive exam (qualifying examなどと呼ばれたりもします)を無事パスしました。これは、二年次の終わりに受けさせられる進級試験で、それまでに受けたコースワークの理解度をチェックするためのものです。進級試験なので、これに落ちてしまうと文字通り進級はできません。それどころか、事によっては(スクールによっては必然的に?)退学せざるを得ない場合もあります。これの準備も非常に大変だったのでいずれまとめようと思いますが、その一方でこの二年間で学んできたことを頭に焼き直し、またそれを乗り越えてきたことを自信の源にするいいきっかけにもなったので、この試験は僕にとっては非常に良いステップでした。結果として。

 

時間が経つのは本当に早くて、気づけばPhD課程3年目の秋学期が開始しています。ここからは日本の博士課程に近しく、授業はほとんどとらずにdissertationに向けて研究に専念していくこととなります。とはいえ、コロナ下の厳戒態勢は依然として大学では続いているので、セミナーなどは引き続きオンラインですし、当分は自宅での研究生活が続きそうです。今夏は日本への帰国も当然ままならず、日本食の恋しさは募る一方ですが、妻の手料理のおかげで何とか持ちこたえているところです。

 

大体が、いまのところの僕の近況です。個々の具体的な内容や、これまでに書きためていたテーマがあるので、しっかり書きあげてアップロードしていく予定なので、もしよろしければ引き続き応援していただけると幸いです。コメント、是非お待ちしてます。それでは、このブログを読んでくれている方、健康にはくれぐれも気を付けて安全にお過ごし下さい。それでは、また。

"Historical research"という呼称が好きではない

直近のSMJのSpecial Issueは歴史研究特集でした。Introductory paperのタイトルはArgyresやSilvermanらによる"History-informed strategy research: The promise of history and historical research methods in advancing strategy scholarship"です。

メインの主張をものすごくざっくり言うと、historical researchとは「ある現象を説明するために歴史的な手法を用いる研究」で、「歴史的な手法」とは、「多面的な情報源を用いて、文脈化(contextualization)された根拠・説明を提示すること」といった感じでしょうか。

その目的の一つは、ある理論が何らかの理由で不十分にしか検証されていない場合(例えば因果関係が明確でなかったり、検証するためのデータが乏しかったり)に、その検証を補うこと(history-to-theory)にあり、もう一つは、歴史的研究による発見事実そのものによって、新しい理論の確立や既存の理論の修正を行うこと(history-in-theory)にあります。いずれにおいても、歴史的な手法を用いることによって、個々の因果関係に関してよりリッチで個別具体的な説明を提示できるだけでなく、理論の再検証・修正・再定義などにも寄与することができる、と言ったことを筆者らは主張しています。



これらの言明自体は僕個人としては概ね納得できる記述です。というのも僕は常々、ひたすら古い過去の時代まで遡ることをもってhistorical researchと呼ぶ(呼ばれる)のに違和感を持っていましたし、ひたすら長い時間軸を観察することをもってhistorical researchと呼ぶのも不自然だと思っていたからです。それはsamplingをどのように行うか、ということに過ぎず、それが10年前だろうと100年前だろうと、5年の観測期間であろうと50年の観測期間であろうと本質的には変わらないからです。

本質的なのは、上に記述されているように、どのような時代・観測期間であろうと、発見事実及びそれに対する説明をどの程度「文脈化(contextualization)」するのか、ということだと思います。


ただ、先ほどの定義に翻ると、これも以前から思っていたことではあるのですが、これって社会科学全般に自然に当てはまるものなのでは、という印象を抱かざるを得ません。 彼らの意図の一つは、いわゆるlarge sample studyに対する一種のアンチテーゼにあると思っているのですが、sample数の問題(いわゆるstatistical powerなど)やselectionの問題と、contextualizationをすべきかどうか、というのは、本来別次元の問題だと思うのです。



話は少し逸れますが、僕が今いるスクールに入る際に受けたeconometricsの予備授業のようなもののなかで、(内容自体は極めて簡単でしたが)なるほどと思わされたのは、populationとは何か、ということです。empirical paperのなかでpopulationを定義している論文は、少なくとも僕はほとんど見たことがありません。

しかし統計的手法を用いるにせよ非統計的手法にせよ、観察するデータはpopulationから(ほとんどの場合nonrandomに)抽出されたsampleである、という考えは一般的だと思います。したがって、抽出元であるpopulationを意識するのは結構大事だと僕は思っています。populationをどのように定義づけるかはおそらく研究者や論文によってまちまちだと思いますし、広く取ろうと思えば広く、狭く取ろうと思えば狭くとれるものなんだと思います(この辺については実は良くわかっていません)。

で、その予備授業の先生によると、「アメリカ全土の企業」は当然経営学におけるpopulationではないし、「世界中の企業」を集めても、それはpopulationではない。なぜなら、それは時間軸を無視しているからで、本来統計的推論とは過去のデータを以て未来に意識を投げかけることだから、populationは過去・現在・未来のすべてを含む、といったようなものでした(あまり正確には覚えてませんが)。


多分「その考えは間違っている」、「現実的でない」と思う意見もあるとは思うのですが(僕もそう思います)、一方でなるほど、と思ったのは、いま観察しているsampleがどういった意味でnon-randomなのか、ということをどこまで突き詰めて考えられるかが大事なんだな、ということです。

細かいレベルでいけば、例えばattritionがあるとか、self-selectionがあるといったような、現在の因果推論でも慎重に対処されている問題があります。しかしもっと大きな次元でselectionを捉えてみれば、それは時代的背景や時間軸、国家、制度、環境、あらゆるものに規定されるものだと考えることは可能です。そしてそこでは、small sample (極端なケースではN=1)かlarge sampleか、ということは本質的な問題ではないと思うのです。


例えば、N=1のケーススタディで提示された因果関係がどの程度一般化可能なものなのか、ということは恐らく誰でも気になる部分でしょう。しかし反面、大量サンプル(例えばN=10万)で、しかもinstrumental variableなどの手法を用いて(慎重に)推定された因果関係を提示されると、おそらく多くの人がそれが観察されていないサンプルにどの程度適用可能なのかということは、あまり考えなくなる、というのが僕の印象です。

「そりゃあ単純にサンプル数10万倍なんだから当たり前だろ」と言われればそうなんですが、到底人間の手では到達しそうにもない巨大なpopulationを念頭に置くのであれば、「たった10万倍である」と見方も可能だと思うのです。contextualizationとは、N=1であろうとN=10万であろうと、定性的なデータ・手法であろうと、あるいは”素晴らしい”因果推論の手法であろうと、示された因果関係が埋め込まれたcontextを明示化することだと思っています。


恐らくこれに近いような意味で、著者たちはcontexualizationと言っているのだと思うのですが、少し誤解を招くのでは、と思ったのは、このような主張は「contextualizationとはコンテクストを大事にすることで、つまりよりコンテクストを明瞭に記述的できるsmall-sample study (ケース・スタディなど)が有用だ」という印象を抱きかねないのでは、ということです。

この点については、実際にキーワードにも「small-N research」というワードが入っていることからも推察できます。 僕が一番言いたかったのは、真摯な研究者であればlarge-sample studyであってもコンテクストを大事にするし、結果の境界条件や頑健性についてかなり慎重に議論します。 反対に、small-sample studyでも、ケースのなかでのcontextは非常に詳細に記述しているけれども、より大きなcontextのなかのどのようなselectionの結果として観察されているのか、であったり、結果がどの程度contextに依存しているのか(いないのか)についての言明がない研究も未だに数多くあります。 このような流れを受けて、最近では定性的な研究あるいはsmall-sample studyでもreplicabilityが重要だ、ということで研究手続きの基準化・明確化を図ろうとする動きもあります(例えばAguinis & Solarino, 2019, SMJ)。


まとめると、”historical research”というカテゴライズが僕が個人的にあまり好きでないのでは、それがそれ以外のahisotricalな研究の開き直りを反映しているようにも思われるからです。historical researchとしての方法論を謳うより、社会科学全体の規範として考え直す必要があるよね、みたいに議論してくれた方が清々しいなぁ、と感じたということです。


※話しは少し逸れますが、僕は昨今の因果推論”ブーム”のなかにあって、ますますcontextualizationは大事になってくると思っています。というのも、instrumental variableにしろregression discontinuityにしろ、推定しているのは基本的にLATE (local average treatment effect)であり、観察されたsampleのなかでもさらに限定的な部分の変動に基づくものであるからです。優れた研究は勿論、この点も明確に意識して議論していると思いますが、そうでない研究も沢山あります。



入ってから気づいたのですが、僕がいるビジネススクールは"historical research"を好む教員が相対的に多いと思います(僕のアドバイザーもそうです)。冒頭に書いたSMJのspecial issueも、8本の論文のうち2本はうちのスクールの教員・学生の投稿によるものです。勿論彼らも、歴史を歴史として大事にしたいわけではなく、あくまで方法論として意義があるからである、ということを明確に意識しておられますし、そういう意味では有難い環境で研究できてるなぁと思っています。


書いたものを振り返ってかなり論旨が不明瞭だなぁ、と自分でも思うのですが、僕の意見はただ一つで、「contextualizationは極めて重要だが、それはhistorical researchというカテゴリーのなかだけではなく、全ての社会科学研究においてそうである」ということです。これはまさに筆者たちの主張そのものであるのかもしれませんが、そういう受け取り方をしない人もいるのでは、と思ったので自分の考えをまとめてみました。それでは、また。

ビジネススクールの海外PhD留学への出願②

かなり久々の更新になります。前回(約3ヶ月前)、出願を考えるタイミングについてお話ししましたが、今回は実際に出願するうえで必要な書類等について書きたいと思います。


改めて言っておくと、僕がブログを通じてこういったことを書こうと思ったのは、将来経営学系でPhD留学をしてみようかな、と考えている人にとって、少しでも有益な情報を提供できれば、と思ったからです。お隣の経済学では、東大経済を中心として将来的にPhD留学を目指している大学院生の方は沢山いらっしゃるそうですし、米国などのトップスクールに入学する学生も増えていると聞きます。それに比べて、経営学系でPhD留学を目指す学生は極めて少ないです(そもそも経営学の博士課程に進む学生があんまりいませんが)。僕は主流派経営学からは逸れたところにいるので、経営学にそれほど愛着があるわけではありませんが、それでも自分が所属する領域に元気がないのは見ていて気分が良いものではありません。

大手を振って”海外の経営学の方が進んでいる”、と言うつもりはありませんが、本来学問は国際的なものであるべきで、自国のなかでしか知識が蓄積されない、いわゆる”ガラパゴス化”してしまうのは、学問として健全ではないと思います。ですので、経営学の博士課程に進もうと考えている、あるいは現在博士課程で学んでいる方には、ぜひとも留学を選択肢の一つとして考えてもらえればと思っています。

朗報なのは、先ほど引き合いに出した経済学などと比べて、ビジネススクールの競争はそれほど激しくないことです(根拠はありませんが)。海外の学生の方がレベルが高いかと言うと決してそんなことはなく、僕が知る限りでは日本の学生も全然負けていない、何なら平均点で言ったら日本の学生の方が高いんじゃないかと思うほどです。最大の障壁はおそらく英語でしょうが、逆に言えばそれさえ克服できれば(これは技術的な克服というよりも心理的な克服です)、チャンスは大いにあると思います。



さて、話を戻しますが、ビジネススクールのPhD出願において必要な書類は、大きく分けて四種類あるかと思います。


・Online application、resume/CV (curriculum vitae)

いわゆる出願する本人自身についての基本的な情報です。これはほとんど説明する必要もないかと思いますが、resume/CVはきちんと一般的なフォーマットに基づいたものにする必要はあるかと思います。CVに関連して、「過去の業績 (publicationなど)は合否に影響するか」という問題がありますが、業績があってプラスになることはあっても、業績がないからといってマイナスになることはないと思います。こと経営学、なかでも戦略論や組織論は、短期間で業績を出すのが比較的難しい領域であることはfacultyもわかっていますし、それをPhD入学時点で求めるということはほとんどないと言っていいと思います。ただ勿論、既に(質の高い)業績を出している人がもしいたとすれば、その人は将来的にも良いところに就職する可能性が高いので(つまりスクールにとってプラス)、アドバンテージが生まれやすい部分もあるんじゃないかと思います。


・Test scores

英語非ネイティブにとっての鬼門はやはりここだと思います。僕も、思い返したくもないほどTOEFLに苦しみました。ほぼすべての英語圏のスクールが語学テスト(TOEFL/IELTS)及び一般教養試験(GRE/GMAT)のスコアを求めています。これについてはビジネススクールに限らないので、参考書や予備校、ウェブサイトなど様々な情報源がありますので、あえて僕が解説することでもないと思います。

単純に僕の経験を話しておくと、僕はTOEFLに本当に苦しんだ人間の一人で、数えてはいませんが恐らく10回以上受験しました(ちなみに受験料は一回25,000ほどです)。今思えば、予備校などに通わず独学で乗り切ろうと思ったのが全ての間違いだったのだと思います(勿論これは個人差がありますし、数回で満足いく結果を出せる人も大勢いることと思います)。他方でGREについては、数学が得意だったこともあり、勉強期間も1ヵ月ほどで、試験も2回目で十分なスコアを得ることができました(英語は6割5分くらい、数学は満点だったと記憶しています)。ただGREの英語は、TOEFLやIELTSの勉強の延長で乗り切れる部分と、乗り切れない部分があると思うので、早めに準備を始めることを意識したほうが良いかと思います。

僕からできるTest scoreについての最大のアドバイスは、とにかく準備を後ろ倒しにしないことだと思います。巷の参考書など様々な情報媒体には、「出願までのスケジュール」「何ヶ月前から準備すべきか」、といった情報は溢れていますが、鵜呑みにするのは危険です。そのスケジュール通りに期待されたスコアをあなたが取ることができる保証はありません。僕も自分の力を過信するあまり、TOEFLで期待のスコアが全然取れず(99点を3回連続で取った時は泣きたくなりました)、結果出願までに2年かかってしまいました。まずは一回受験してみることが大事で、いまの自分の実力と求められているスコアの距離感を測る、と言うのをなるべく早くやることが重要だと思います。


・Research Proposal, Statement of Purpose, Writing Sample等

大学によって求めるエッセイの種類は異なる可能性がありますが、Research ProposalとStatement of Purposeは大体求められるのではないかと思います。前者は自分がそのスクールでどんな研究をしたいかということで、後者はなぜそのスクールに入りたいか、と言ったことに関するエッセイです。単に出願者が優秀であるかどうか(研究とは何かを”分かっている”かどうか)だけでなく、出願者とスクールとのフィットを考えるうえで非常に大きな判断要素になります。

基本的に出願するスクールは複数になるかと思いますが、Research Proposalに関しては、同じ研究テーマであっても、ある程度スクールごとに書き分けた方がいいと思います。スクールごとにカラーが異なることがありますし、どういう文献を引用するかとか、どういう角度で分析したいかという部分で、スクールとフィットしそうかどうかという印象が大きく左右されるからです。また、これは次の記事で詳しく書こうと思いますが、出願の際には指導を請いたいアドバイザーが決まっている場合と決まっていない場合があるかと思いますが、個人的には決まっていた方が良いかと思います。これは、事前にそのアドバイザーとコンタクトをとることが重要であるということもありますし、単純にProposalやStatement of Purposeでフィットをアピールしやすいからです。

なお、最後に書いてあるWriting sampleについてですが、これはスクールによって求めるところとそうでないところがあるかと思います。あるいは、Research proposalの代わりにWriting sampleを求めるところもあります。僕は、自分の修士論文を英訳したものを提出しました。Writing sampleは、academic writingの基礎がしっかり身についているかを評価されていると思うので、これも非常に重要です。アドバイスとしては、Test scoreの時と同様ですが、間違っても自分の英語力を信用しないでください。個人的には、writingが一番英語の実力が出るのではないかと思っています。英語にはparaphraseやcolocationなど日本語にはない独特の作法があり、日ごろから論文などのformal writingに使われる表現に慣れ親しんで、また自分でも書く訓練を積んでいなければ、結構ハードルが高いと思います。Writingに関しては僕もまだまだ全然ダメで、しょっちゅうアドバイザーに直されています。


最後に、これは言うまでもないことかもしれませんが、これらのエッセイは絶対に、Writingに長けた誰かに事前に校閲をしてもらうべきです。また、引用する文献の著者の名前を間違えるなどのミスは最大の無礼にあたるので、自分自身でも何十回も推敲して、無用な理由で不合格になることのないようにしましょう。


・Recommendation Letters

何だかんだ言っても、究極的にはこれが一番重要だと思います。僕の場合も、Letterを書いていただいた先生のお力添えが決定打になったのは間違いないと思います。学問の世界も、結局コネクションが重要になる部分は往々にしてあります。ただ勿論、推薦状を書いていただく先生にもリスクがあるので、その先生にある程度認めていただいてなければ、良い推薦状を書いてもらえる可能性も低くなるのは間違いありません。ほとんど繋がりもないような先生のところに押しかけて、推薦状だけ書いてくださいというのは極めて失礼な行為だと個人的には思いますので(それでも、喜んで書いてくださる素晴らしい先生も大勢いらっしゃいますが)、やはり留学を考えているのであれば、ある程度そういったことも視野に入れて先生方に戦略的にアピールすることは必要かもしれません。


かなり表面的な説明になってしまいましたが、出願に必要な書類の大まかな説明は以上になります(他にも細々した提出書類はあるかと思います)。繰り返しになりますが、留学準備は長期的な視野をもって計画することが大事だと思います。仕事や研究の合間の隙間時間でしか準備に時間を費やせない方もいらっしゃるでしょうし、仮に時間が費やせても、よほどの決意や使命感がなければ、モチベーションを長期的に保つことは難しいです。


ビジネススクールは留学を志向する学生が少ないと言いましたが、それは自分が留学しようと考えた時に、周りに同じことを考えている仲間がいる可能性が極めて低いことを意味します。すなわち、留学は準備の段階から、かなり長期にわたる孤独との闘いです。それでも、PhD留学にはそれだけの投資をする価値があることは間違いないと思いますし、日本の大学院だけでは見えなかった景色も沢山見えるようになります。最初の一歩さえ踏み出してしまえば、道は大きく開けます。このブログが、その一歩の支えになれれば本望です。


次回は、ビジネススクールとアドバイザーの選び方についてお話ししたいと思います。それでは、また。