復讐


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↑日本にいた頃の大学院の指導教官と同じゼミの後輩が送ってくれた煮干しを使って作った自家製煮干しラーメン。神の味。



こんにちは。ブログを始めてまだ二カ月あまりですが、早くも更新が滞っており挫折しそうになっています。今日、計量経済学の授業の中間試験が終わりやっと一息つけたので、自分を奮い立たせてなんとか頑張って書きます。



まず、物騒なタイトルをつけてしまってすみません。無論ですが、犯罪を犯すつもりはありません。ただ、この中二病くさい二文字が長らく僕のなかでの大きな原動力になっていて、いつかどこかにぶちまけたいと思っていたので、ここで書こうと思います。



現在通っている大学院で、同学年同専攻のAliとは授業でも授業外でもよく一緒に過ごしているのですが、彼によく「4年も日本の大学院にいたのに、なんで日本で学位をとらないでこっちに来たの?」と不思議がられます。なんて答えているか具体的にはここでは言いません(言えません)が、その話題になるとき、いつも僕が日本でもよく考えていたことが頭をよぎります。


僕が2014年に日本の大学院に進んで以来、様々な人(勿論大学外です)からこんな言葉を言われてきました。幾つかはテンプレみたいなよくあるセリフですが、実際に言われた言葉たちです。


「なんで文系なのに大学院進むの?」
「なんで会社に勤めたことないのに経営学やってるの?」
「実社会を知らないで社会科学の研究やっても意味なくない?」
「とりあえず一旦就職したら?それから大学院に戻ってもいいじゃん」

それから、僕は昨年結婚したのですが、そのときには

「早く働いて奥さん支えなよ」
「奥さんかわいそう」
「つかヒモじゃん」


「いやうるせぇよ」、って感じなんですが、そうも言えない相手から言われることもあるので、「そうですね、ハハ」くらいな感じで流すしかないです(ちなみに僕はこの”流す”という行為が本当に大嫌いで、いつも屈辱を感じます)。被害者意識が強すぎると言われれば、まぁそうなんですが、特に結婚前後は、僕は犯罪でも犯したのかというくらい多方面から、”直接攻撃”とまではいかないけれども、遠まわしに非難される経験を何度もしました。大学時代の今でも付き合いのある友人には理解がある人がやはり多く、こういった類のことも半ば冗談交じり、フォロー交じりで言う程度なんですが、それでも毎回ちょっとずつ傷つきます。じつは結構ナーバスです。


一番つらかったのは、僕の奥さんが、彼女が働いてる会社の上司や同僚からこういった類のことを散々言われたというのを耳にしたときです。彼女はそういうときちゃんと言い返してくれているらしく、本当に有難い限りなのですが、同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになります(じゃあ結婚するなよ、って言われそうですが)。



話は少し変わりますが、僕の同期の大学時代の友人たちは、皆ほんとうに良いところに就職しています。なかには、この歳にして年収1000万を超えている人もいるかもしれません(というか、います)。経済学の基本的な考え方の一つに”機会費用”というのがありますが、ときどき「もし自分が当初行きたいと考えていた会社に勤める選択をしていたら今頃いくら稼いでるだろう」と計算したりします。こういった経済的な効用をとっても、先ほど述べたステータス的な意味での社会的な効用をとっても、まったく(社会科学系の)大学院に進むという行為は、合理的な選択からは程遠いものにあるんじゃないかと思ってしまいます。



何が言いたかったかというと、これこそが僕が留学をする決断をした一つの強い動機になったということです。いままで、僕に反発的な意見を浴びせかけてきた全ての人間を将来心の中で見下ろせるレベルにまで到達したい、彼らに「僕の選択は正しかった」と思わせたい、つまり復讐です。彼らを見返すもっとも効果的な方法、つまり復讐の手段ですが、それは悲しいことに”金”という結論に達しました。
僕が留学して、うまくいって学位をとれたとして、どこかの大学の先生になれたとしても、そこで得られる社会的な地位はたかが知れてるだろう(勿論人によります)、だとしたらもう金稼ぐしかねえじゃん、って感じです。だから、僕の将来の一つの目標は、すごく幼稚なんですが、”いっぱい金を稼ぐ”ことです。リーガル・ハイというドラマの第9話で主人公の古美門弁護士が言っていたセリフと全く同じです(わかる人にだけ伝われ)。


こういったことを悶々と考えるなかで、今のキャリアパスを維持しつつ、最大限”いっぱい金を稼ぐ”可能性を拡げる方法として、5年間を費やして留学するのがいいんじゃないかという考えに至りました(とはいえ、正直モトがとれるかなんとも言えないんですが)。



で、前にも少し話したのですが、こちらに来てからというもの、そういった環境とは今のところ全く無縁なところに来ていることを改めて実感しています。正確に言えば、大学院に進むという選択に対して批判的な空気が”無い”というよりも、そもそも他人の人生に口を出すという考え方が”無い”、という感じです(まぁまだ暫定的な印象ですけど)。

Aliに上で述べたような僕の経験を話したとき、”crazy”だと言われました。「今まで”crazy”だと思われてきたのは俺のほうなんだけどな」、という何とも不思議な感覚が芽生えました。僕は自分の選択に酔っているつもりもありませんし、ここまでしてきた選択が全て正しかったのかも分かりません。ただはっきり言いたいのは、「他人の人生に口出すな」ってことだけです。そういう煩わしさから解放されたという意味で、いま現在の生活は居心地の良いものになっています。もちろん、他の様々な側面で日本の便利さ、豊かさも痛感していますが。




今までの内容に比べてかなり”誰得”な内容になってしまいましたが、まぁあくまで個人のブログだからいいか。
秋学期もようやく折り返しました。授業の数が一個減るので前半期は少し余裕ができると思います。いい加減そろそろ車を手に入れないとやばいですね。それでは、また。