留学における誤解

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こんにちは。写真はDCにあるHanaという名前の”最高の食料品店”です。日本食を専門にかなり幅広く取り揃えてあって感動しました。アメリカ生活は本当に少しでも油断すると、SUBWAY→バーガーキング→SUBWAY→Wendy's→SUBWAYみたいなことになりかねません。もともと僕はパンはあまり好きではないですし、大学周りに食べれる場所もほとんどないので、晩御飯のみならずお昼の弁当をいかに自前で用意していけるかが留学生活の一つの重要なポイントになっています。


そんななかで、こちらの店では日本のカレーやラーメンなどはもちろん、炊き込みご飯の素やから揚げの素(←これがかなり嬉しい!)、日本では当たり前だけどこちらではなかなか手に入らない調味料等(めんつゆやポン酢、オイスターソースなど)が一通り手に入るので、もうほんと素晴らしいです。赤いきつねを食べたときはうますぎて涙が出るかと思いました。出ていません。



さて、今日は僕がこちらに来て意外だったというか、イメージしていたものとは違ったなぁと感じた幾つかの点を紹介しようと思います。何度も言っている通り、これはあくまで僕個人の体験談であり、「一般的にこうだ」というつもりは毛頭ありませんので、その点に留意したうえで読んでいただければと思います。



1.留学生活は孤独だという誤解

これは極めて重要なポイントです。まず、こういう書き方をすると語弊を生んでしまうのですが、孤独ではないのかというと、そんなことはありません。基本的に家と大学を往復するだけの生活ですし、大学院生仲間とも「帰りに一杯飲みに行くか」みたいなことは、基本的にありません(月に一度くらいハッピーアワーの時間帯に、近所のパブに行こうというのはあります)。もちろん、休日に一緒に遊びに行こうなんてことにもなりません(これは僕に友達がいないからということではなく、比較的一般的にそうだと思います。僕に友達がいないからということではありません)。ですので、もしご家族と一緒に移り住んでいるのでなければ、留学は基本的に孤独だと思います。


ただ、それでも、”孤立感”みたいなものは未だにほとんど感じたことがありません。これは結構自分でも驚いています。先週くらいに、ふと「あぁ、充実しているなぁ」と感じた瞬間があり、自分らしくないと思い、なぜそう思ったのかじっくり考えてみたのですが、「所属欲求が満たされているからだ」という結論に達しました。


一年目だからということはあると思いますが、こちらに来てからというのも、先生のみならずビジネススクールの事務の方や、(こちらの大学に先輩という概念はないのですが、便宜的に)先輩などがかなり気にかけてくれて、あれこれ話しかけてくれます。僕のビジネススクールでは30人くらい収容可能な大きなオフィスが院生共有の研究室になっており、ダイニングキッチンが隣接しています。30人と聞くと、狭苦しく集中できないのではないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

ですので、基本的に誰とでもすぐ話をすることができますし、普段接点のない院生ともランチのタイミングが重なれば自然と会話するようになります。基本的に誰かを除け者にしたり、差別したり、小さくまとまったりということはなく、フラットに誰とでも接するような雰囲気があります(アメリカはやはり、そういうことに敏感な国なんだろうな、ということも同時に感じました)。


これは僕にとっては、思いのほか居心地の良いものでした。”誰とでも接する雰囲気”というと、そこに溶け込める僕がすごく社交的なだけなんじゃないかと思われるかもしれませんが、僕は決して社交的ではありません。どちらかというと、よほど自分が好きな相手でない限り、必要以上のコミュニケーションは取らないタイプです。そんな僕がなぜ居心地の良さを感じるかというと、とどのつまり”付かず離れず”、丁度良い距離感を維持できるからだと思います。

おそらくですが、良い意味で皆他人に興味がありません。ですが、generalに他人に快く接しますし、他人が困っていたら手助けすることを躊躇しません(これは、山岸俊男先生が『信頼の構造』で述べていたことに近いです)。日本(の大学院)は、小さい集団のなかで非常に密なやりとりをしますが、その外側にいる人間をやたらと敵視するような雰囲気があり、僕はそこに少し窮屈さを感じたことが何度かあります。

つまり、例えば自分が、今日は機嫌が悪いとか考え事に集中したいというときには、誰とも話さずに一日を終えることができますし、逆に寂しさを感じたら誰かに話しかければ、ほぼ100%皆笑顔で応えてくれます。これが、所属欲求が満たされていると感じる主たる要因です。凝集性(?)が高いわけではないのに、帰属意識を感じていられるというのは、不思議な感覚だなぁと思います。



2. アメリカに住んでいる人は皆英語が流暢だという誤解

これは確信を持って言えます。僕はいまだに(といってもまだ一カ月あまりですが)満足に英語でコミュニケーションが取れていません。かなりマシにはなってきているという実感はありますが、それでもまだネイティブのアメリカ人とはほとんどコミュニケーションがとれません(彼らの英語は滅茶苦茶速いのです)。


それでもめげずにここまで頑張ってこれてるという理由の一つに、僕よりも英語が下手な人というのが一定数いるということがわかったことがあります。アメリカは広大な国で、数多くの移民やマイノリティが住んでいる国であることはご存知の通りです。彼らはしばしば同じ人種・国籍同士で固まって住んでおり、そのなかで彼らの言語を通じて小さな社会が形成されていることがあるので、実は英語にあまり頼らないでも生きていける場合があります(現に、僕の家の周りに住んでいる人々はラテンアメリカ系(スペイン語?)の人たちばかりで、飲食店の店員も同様です)。

もちろん大学院ともなれば、英語がある程度話せないと話にならないのですが、それでも英語が完璧な人(ネイティブ)、うまい人、あまりうまくない人、僕と同じくらいな人、僕よりうまくない人、とかなりグラデーションがあります。これは安心材料であると同時に、「もっとうまくなれば会話できる人が広がる」というやる気にも繋がります。



大学外での英語の良い練習場所の一つは、実はUBERです。まだ自動車を持っていないこともあり、スーパーなどちょっとした用事にUBERを使うことがよくあります。UBERの運転手も多種多様です。白人のアメリカ人がやっていることもあれば、ヒスパニック系、インド系、中国系、ヨーロッパ系など様々です。一口に英語といっても話す人の国籍や人種によって癖などがバラバラなので、良い訓練になります。僕はインド系の人の英語が一番苦手です。ほとんど聞き取れないです...


この前ちょっとした出来事があり、エチオピア人のドライバーのUBERに乗ることがありました。僕も人のことは言えませんが、彼も決して英語が上手ではありませんでした。ですが会話のスピードがゆっくりなので僕にはむしろ聞き取りやすく、乗車中終始おしゃべりしていました。


話してみると、彼も大学生(院生?)らしく、大学終わりに小遣い稼ぎとしてUBERのドライバーをやっているとのことでした。彼曰く、エチオピアは歴史的に他国に占領されることがなく(後で調べてみたら全くされたことがないわけではないようですが)、自国の文化を保持し続けることができた国です。だから自国の言語を持っているし、そのせいもあって英語が話せる人はほとんどいません。だから、英語圏の地域に出ていくのは本当に大変なことだ、と。

その一方で、隣のケニアは過去に占領されてしまった暗い過去がある。植民地化された結果として、母国語がBritish Englishに変わり、皆が英語を話すことができる。その結果として、海外に出ていくことが比較的容易であり、最近どんどん英語圏に留学する学生が増えている、と。これはなかなか考えさせられる内容でした。


※念のため断っておきますが、軍事的略奪や占領を正当化する文章では全くありません。このブログを読んでいる人にそんな早とちりをする人はいないと思いますが。


そういう意味では日本と似たような境遇かもしれないと思い親近感がわき、それから「英語」についてエチオピア人の彼と色々話しました(もちろん英語で)。僕が「リスニングがいまだに苦手で、ネイティブのスピードについていけない」というと、「リスニングは大丈夫。耳は3カ月もすれば慣れるよ。ただ、会話ができないのは問題だ。会話ができないと3年かかる。僕も大学に戻る(?)までに3年かかった。君のスピーキングなら大丈夫だよ」と言ってくれました。この言葉は大変嬉しく、大いに勇気づけられました。それから、「アメリカに来たからといって安心してはいけない。”keep practicing”だ」と言われて、少しハッとしました。UBERはたまに気分が悪くなることもあるのですが(車酔いとかではなく運転手の態度で)、こういう出会いもあるので結構楽しいです。



さて、もっといろいろ書こうと思ったのですが、たった二つでかなりの量を書いてしまったのでここまでにしておきます。続きはまた気が向いたときにでも書きます。それでは、また。