"Historical research"という呼称が好きではない

直近のSMJのSpecial Issueは歴史研究特集でした。Introductory paperのタイトルはArgyresやSilvermanらによる"History-informed strategy research: The promise of history and historical research methods in advancing strategy scholarship"です。

メインの主張をものすごくざっくり言うと、historical researchとは「ある現象を説明するために歴史的な手法を用いる研究」で、「歴史的な手法」とは、「多面的な情報源を用いて、文脈化(contextualization)された根拠・説明を提示すること」といった感じでしょうか。

その目的の一つは、ある理論が何らかの理由で不十分にしか検証されていない場合(例えば因果関係が明確でなかったり、検証するためのデータが乏しかったり)に、その検証を補うこと(history-to-theory)にあり、もう一つは、歴史的研究による発見事実そのものによって、新しい理論の確立や既存の理論の修正を行うこと(history-in-theory)にあります。いずれにおいても、歴史的な手法を用いることによって、個々の因果関係に関してよりリッチで個別具体的な説明を提示できるだけでなく、理論の再検証・修正・再定義などにも寄与することができる、と言ったことを筆者らは主張しています。



これらの言明自体は僕個人としては概ね納得できる記述です。というのも僕は常々、ひたすら古い過去の時代まで遡ることをもってhistorical researchと呼ぶ(呼ばれる)のに違和感を持っていましたし、ひたすら長い時間軸を観察することをもってhistorical researchと呼ぶのも不自然だと思っていたからです。それはsamplingをどのように行うか、ということに過ぎず、それが10年前だろうと100年前だろうと、5年の観測期間であろうと50年の観測期間であろうと本質的には変わらないからです。

本質的なのは、上に記述されているように、どのような時代・観測期間であろうと、発見事実及びそれに対する説明をどの程度「文脈化(contextualization)」するのか、ということだと思います。


ただ、先ほどの定義に翻ると、これも以前から思っていたことではあるのですが、これって社会科学全般に自然に当てはまるものなのでは、という印象を抱かざるを得ません。 彼らの意図の一つは、いわゆるlarge sample studyに対する一種のアンチテーゼにあると思っているのですが、sample数の問題(いわゆるstatistical powerなど)やselectionの問題と、contextualizationをすべきかどうか、というのは、本来別次元の問題だと思うのです。



話は少し逸れますが、僕が今いるスクールに入る際に受けたeconometricsの予備授業のようなもののなかで、(内容自体は極めて簡単でしたが)なるほどと思わされたのは、populationとは何か、ということです。empirical paperのなかでpopulationを定義している論文は、少なくとも僕はほとんど見たことがありません。

しかし統計的手法を用いるにせよ非統計的手法にせよ、観察するデータはpopulationから(ほとんどの場合nonrandomに)抽出されたsampleである、という考えは一般的だと思います。したがって、抽出元であるpopulationを意識するのは結構大事だと僕は思っています。populationをどのように定義づけるかはおそらく研究者や論文によってまちまちだと思いますし、広く取ろうと思えば広く、狭く取ろうと思えば狭くとれるものなんだと思います(この辺については実は良くわかっていません)。

で、その予備授業の先生によると、「アメリカ全土の企業」は当然経営学におけるpopulationではないし、「世界中の企業」を集めても、それはpopulationではない。なぜなら、それは時間軸を無視しているからで、本来統計的推論とは過去のデータを以て未来に意識を投げかけることだから、populationは過去・現在・未来のすべてを含む、といったようなものでした(あまり正確には覚えてませんが)。


多分「その考えは間違っている」、「現実的でない」と思う意見もあるとは思うのですが(僕もそう思います)、一方でなるほど、と思ったのは、いま観察しているsampleがどういった意味でnon-randomなのか、ということをどこまで突き詰めて考えられるかが大事なんだな、ということです。

細かいレベルでいけば、例えばattritionがあるとか、self-selectionがあるといったような、現在の因果推論でも慎重に対処されている問題があります。しかしもっと大きな次元でselectionを捉えてみれば、それは時代的背景や時間軸、国家、制度、環境、あらゆるものに規定されるものだと考えることは可能です。そしてそこでは、small sample (極端なケースではN=1)かlarge sampleか、ということは本質的な問題ではないと思うのです。


例えば、N=1のケーススタディで提示された因果関係がどの程度一般化可能なものなのか、ということは恐らく誰でも気になる部分でしょう。しかし反面、大量サンプル(例えばN=10万)で、しかもinstrumental variableなどの手法を用いて(慎重に)推定された因果関係を提示されると、おそらく多くの人がそれが観察されていないサンプルにどの程度適用可能なのかということは、あまり考えなくなる、というのが僕の印象です。

「そりゃあ単純にサンプル数10万倍なんだから当たり前だろ」と言われればそうなんですが、到底人間の手では到達しそうにもない巨大なpopulationを念頭に置くのであれば、「たった10万倍である」と見方も可能だと思うのです。contextualizationとは、N=1であろうとN=10万であろうと、定性的なデータ・手法であろうと、あるいは”素晴らしい”因果推論の手法であろうと、示された因果関係が埋め込まれたcontextを明示化することだと思っています。


恐らくこれに近いような意味で、著者たちはcontexualizationと言っているのだと思うのですが、少し誤解を招くのでは、と思ったのは、このような主張は「contextualizationとはコンテクストを大事にすることで、つまりよりコンテクストを明瞭に記述的できるsmall-sample study (ケース・スタディなど)が有用だ」という印象を抱きかねないのでは、ということです。

この点については、実際にキーワードにも「small-N research」というワードが入っていることからも推察できます。 僕が一番言いたかったのは、真摯な研究者であればlarge-sample studyであってもコンテクストを大事にするし、結果の境界条件や頑健性についてかなり慎重に議論します。 反対に、small-sample studyでも、ケースのなかでのcontextは非常に詳細に記述しているけれども、より大きなcontextのなかのどのようなselectionの結果として観察されているのか、であったり、結果がどの程度contextに依存しているのか(いないのか)についての言明がない研究も未だに数多くあります。 このような流れを受けて、最近では定性的な研究あるいはsmall-sample studyでもreplicabilityが重要だ、ということで研究手続きの基準化・明確化を図ろうとする動きもあります(例えばAguinis & Solarino, 2019, SMJ)。


まとめると、”historical research”というカテゴライズが僕が個人的にあまり好きでないのでは、それがそれ以外のahisotricalな研究の開き直りを反映しているようにも思われるからです。historical researchとしての方法論を謳うより、社会科学全体の規範として考え直す必要があるよね、みたいに議論してくれた方が清々しいなぁ、と感じたということです。


※話しは少し逸れますが、僕は昨今の因果推論”ブーム”のなかにあって、ますますcontextualizationは大事になってくると思っています。というのも、instrumental variableにしろregression discontinuityにしろ、推定しているのは基本的にLATE (local average treatment effect)であり、観察されたsampleのなかでもさらに限定的な部分の変動に基づくものであるからです。優れた研究は勿論、この点も明確に意識して議論していると思いますが、そうでない研究も沢山あります。



入ってから気づいたのですが、僕がいるビジネススクールは"historical research"を好む教員が相対的に多いと思います(僕のアドバイザーもそうです)。冒頭に書いたSMJのspecial issueも、8本の論文のうち2本はうちのスクールの教員・学生の投稿によるものです。勿論彼らも、歴史を歴史として大事にしたいわけではなく、あくまで方法論として意義があるからである、ということを明確に意識しておられますし、そういう意味では有難い環境で研究できてるなぁと思っています。


書いたものを振り返ってかなり論旨が不明瞭だなぁ、と自分でも思うのですが、僕の意見はただ一つで、「contextualizationは極めて重要だが、それはhistorical researchというカテゴリーのなかだけではなく、全ての社会科学研究においてそうである」ということです。これはまさに筆者たちの主張そのものであるのかもしれませんが、そういう受け取り方をしない人もいるのでは、と思ったので自分の考えをまとめてみました。それでは、また。